気配と囁き ―秘密の薔薇―

個人的な関心事についての日録風覚書。隠されたもの、語り得ぬもの、覆われたもの、向こう側、境界線上のもの、この世ならぬもの、過剰なもの、偏奇なもの、只事でないこと、などについて。

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伏見・中書島界隈散策 その2

(つづき)
飲食店がずらっと並ぶ道筋を越えたあたりを横へ曲がり、酒造会社の古くからの建物が並ぶ家並みの中を歩く。

少し歩いて、ある角を回り込むと、、、その建物に唐突に出くわす。

あまりに巨魁な、重圧感さえ覚える魁偉な様相に圧倒されて立ち尽くす。

こんな様式は、見たことがない。

大きな木造建築物なのだが、どう言えばいいのか、、、
単に広いとか大きいとかではなく、普通の家屋を拡大して巨大化した感じ、といえばいいか、、、

巨人が住む家と言えば話しが早いか、、、

月桂冠旧本社03

月桂冠旧本社01

月桂冠旧本社04

2階立てなのだが、ちゃちなビルの4階分くらいの高さがある。
近くで実際に見ると、のけぞりそうな、のしかかられるような迫力を感じる。

大正8年に建てられ、平成5年まで月桂冠の本社として使われていたという。

現在は喫茶と土産物売り場になっている。

伏見へ出掛ける時は、是非訪れたい建物。

夜の夢に出てきたら魘されそうな、圧倒的な迫力に打ちのめされることだろう。
これを見るためにだけでも伏見に来る値打ちはある。
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伏見・中書島界隈散策 その1

過日(11月3日)、思い立って中書島界隈をぶらぶらしてみた。

以前駆け足で通り抜けるようにして歩いたことはあったが、よくは見ていなかったので、、、

駅前から北へ伸びる道があるが、そこはどうやら旧・遊郭があった、かつてのメインストリートのようである。

かれこれ3,400メートルくらいに渡って、ずらっと飲食店が軒を連ねている。
その夥しい数に圧倒される。

途中にレトロな概観の銭湯もある。
こういうモルタルで形成した洋風まがいの様式は、旧遊郭あたりでよく見かける建物の様式である。

中書島 メインストリート

中書島 飲み屋街01

中書島銭湯

どこか懐かしい。
(つづく)
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スペイン映画、「ボルベール<帰郷>」 ―メモに代えて―

久し振りに映画を見た。大した映画だった。

何の予備知識もなしに見た「ボルベール<帰郷>」(2006年、スペイン)。

第59回カンヌ国際映画祭で、「主演のペネロペ・クルスを含む出演した女優6人に対して女優賞が贈られた。また、脚本賞も受賞している」そうである。

冒頭、強風の吹き荒れる中、大勢の女性がなにやら忙しそうに立ち働いている。よく見ると多くの墓石が立っている墓場である。それにしてもなんという強風だろう、、、
見始めてすぐに惹き込まれた。
ラテン系特有の鮮やかな色彩。「強烈な」と修飾すべき個性豊かな女性群。

生と死、現世と幽冥界を跨ぐかのような流れ。
果たして現れた母親は生きているのか、、、

3代に重なる負の連鎖。
母と娘の相克、離反、隠されたもの。
終盤、すべての伏線が一気に収斂し、結像する。

多くのインスピレーションを喚起してくれる、映像による語り。

ヒロインが映画の中で歌う歌が素晴らしい。

ちょっと聴くとフラメンコかと思ったが、次にこれはファドだなと思い直したものの、実は「アルゼンチン・タンゴの名曲」で、それを「フラメンコ調」に歌ったものだそうだ。ややこしい、、、

その歌詞がいい。

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彼方に見える星のまたたきが
遙かな故郷に私を導く

再び出会うことへの恐れ
忘れたはずの過去が蘇り
私の人生と対峙する

思い出に満ちた多くの夜が
私の夜を紡いでいく
旅人はいくら逃げても
いつか立ち止まる時が来る

たとえ忘却が全てを打ち砕き
幻想を葬り去ったとしても
慎ましい希望を抱く
それが私に残された心の宝

帰郷(ボルベール)

しわの寄った顔
歳月が積もり銀色に光る眉

感傷…

人の命はつかの間の花
20年はほんの一瞬

熱をおびた目で
陰の中をさまよいお前を探す

人生…

甘美な思い出にすがりつき
再び涙にむせぶ

音楽(サントラ作曲): アルベルト・イグレシアス
主題歌歌手: エストレージャ・モレンテ
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(以上の歌詞は http://ameblo.jp/fayrey/entry-10849778568.html より引用)
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新内二回目稽古

(2012年08月23日)
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先週は新内の曲を渡されて、師匠の唄を聴き、そのあとざっとついて唄っただけであった。

それから録音しておいた師匠の唄を毎日聴いて、時にはついて唄ったりはしていたが、本格的に声を出して新内を唄ったのは今日が始めてと言っていい。

実際に師匠について唄ってみると、新内というのは、邦楽の唄の中でも最も技巧的で、声帯の能力を極限まで引き出して唄うものだ、ということが実感される。

裏声を多用するのだが、それも通常の高音域のもう1つ上を出すというもの。
通常は出すこともなく、普通の裏声の出し方では出ない帯域の高音を出しながら、これでもかという風に頻繁に上下しつつ、しかもコブシで装飾する。

苦しいが、楽しい。通常使わない部分の筋肉を使うので、喉が喜んでいるのが分かる。
極限まで声帯を攻め立て、声をひねり出すとある種の快美感に襲われる。ぞっと総毛立つようなある種の快感が走る。

技巧的な声を出す特徴は清元などでも聴かれるが、新内はさらにその上を行っている。

家内に話すと、「どうぞ逮捕されないでね」と言った。

これは、昔読んだ話で、確かハワイ在住の邦人が新内を習っていて、車を運転しながら唄って稽古していた。その時、赤信号で停車していて、顔を真っ赤にしながら新内を唸っていたら、通行人が驚いて、てっきり気が狂っていると勘違いされ警察に通報された、というエピソードを踏まえて言っているのだった。
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「さのさ」とか、、、

「さのさ」と言えば、江利チエミの「さのさ」が有名だが、この曲はずっと古くから伝わってきた日本の端唄、と思いきや、元は中国から伝わった明清楽の「九連環(きゅうれんかん)」という曲がのちに色々と変形加工されて伝わったものらしい。

歌詞はそれこそ星の数ほどの種類があって、これという決まった定番の歌詞というのはない。

これまで半年ほど端唄を習ってきたのだが、挙げると「お伊勢参り」「紅葉の橋」「梅は咲いたか」ときて、最後に歌だけ習ったのが、この「さのさ」。

先週からは新内に入ったが、「さのさ」も弾き語りをマスターしたいので頼み込んで、新内と並行して三味線伴奏も習えることになっている。

ただ、、、この曲に限らずだが、邦楽の特に端唄や小唄や都々逸といった曲は、西洋音楽とは違ってこれが基本形といった決まった旋律があるようで実はない。

3番まで歌詞があるとして、それぞれ歌詞によって節回しが微妙に違ってくる。
あるいは唄う人によっても、また同じ人でも歌うたびに違うというのは当たり前ということになっている。

こういう融通無碍、悪く言えば適当でいい加減なところが、端唄や俗曲の特徴である。
都々逸でも、そのあたりは同様で、出だしが上から出たり下から出たり。

この適当で緩い感じ、それと絶妙の間が日本音曲の一大特徴といえるのかも知れない。
それがいい味になっていると思う。
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