気配と囁き ―秘密の薔薇―

個人的な関心事についての日録風覚書。隠されたもの、語り得ぬもの、覆われたもの、向こう側、境界線上のもの、この世ならぬもの、過剰なもの、偏奇なもの、只事でないこと、などについて。

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人間の出生の謎、この世界とは何か(断片的な覚え書き)

三浦雅士『出生の秘密』(講談社)

この浩瀚な書物を簡単に要約してみせるのはとてもできそうもない。

書き出しは、丸谷才一の『樹影譚』という短篇小説についての記述からはじまる。
三層構造になった、巧緻で精妙で底深い恐怖と魅惑に満ちた物語。

人間の誰しもが抱える出生の秘密、誰も自分の出生の現場を知らない。誰が本当の父であり母であるかを自分自身では証明することができない。
出生の現場は常に隠されていて、自己はいつもそこへ遅れて到達する。
それが人間の抱える本源的な秘密であり謎である。

「自己がいかにも自明なものとしてあるように思えるが、しかしその出自は決定的に隠されている。しかも自己は自己自身の出自を知ることなしに生きることはできない。」(p71)

「起源を問うことの不可避性と不可能性」(p77)

人間は人間として生まれてくるのではない、小さな動物として誕生し、そこから人間になっていくのだ。

アルチュセールが「フロイトとラカン」(1964)の中で描いた、「産み落とされた小さな動物を人間の小さな子供へと変形する異常な冒険」(p92)。
そのプロセスが、さながら戦場での凄惨な戦いのドキュメントのように、あるいは叙事詩のように、熱い共感をもって描出されている。

人間が人間になっていく過程の生死を賭けた闘いが、2,3歳頃、この小さな生き物に訪れる。

それは自己が、他者を介して自己自身を発見していく道程でもある。
ラカンの「鏡像段階論」。
クラインの児童分析の症例;「ばらばらに寸断された身体像」(p537)

現実界(物自体の世界)から想像界(イメージ・感情的世界)を経て象徴界(言語的世界)への参入。

人間にとって世界は倒立している。
人間とは意識であり言葉であり、つまり虚構であり幻想だ。

その起源に向かって常に遡及し、答えのない問いを反復すること。
そこに止み難い物語への希求を見て取ることができる。

小説表現における言語の解体、意識の崩壊、原初的領野への回帰。

ヘーゲル『精神現象学』における「ラモーの甥」の問題。
侮辱と屈辱の弁証法、すなわち僻みの弁証法。
自己意識が、<僻み>の構造によって形成されたこと。

漱石における主要テーマ<僻み>。

「自己意識とは承認されたものとしてしか存在しない」
「自己意識にもう一つの自己意識が対峙するとき、自己意識は自分の外に出ている。というとき、そこには二重の意味がある。一つは、自己意識が自分を失って、他者こそ本当の自分だと考える、という意味であり、いま一つは、他者を本当の自分と見るのではなく、他者のうちに自分自身を見るというかたちで、他者を克服している、という意味である」(ヘーゲル『精神現象学』)(p491)

「僻みは強烈な自己意識からしか生まれない。あるいは僻みこそが強烈な自己意識を育てるのだ。そしてその自己意識はただ他者との関係において、すなわち他者に承認されたもの、他者に承認されるべきものとしてしか存在しないのである。」(p491)

「いうまでもなく、誰もが私なのだ。驚くべきは私が私であるという事実ではない、誰しもが私だという事実であり、私というもののこの一般性なのだ。感覚から出発することの不可能を語りながら、同時に、ヘーゲルはそう示唆している。誰もが私であって、私は誰でもありうるというこの事態がすでに、私の直接的な経験、感覚的な経験を思考の出発点とする立場を粉砕しているのだ。」(p529)

ルソーからヘーゲルを経てラカンへ。

言語と意識が生い立つ原初の海と森へ、何度でも立ち返る動き。
小説と人間の始まりの闇へ。
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私的読書メモ

(2011年02月17日)

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つい先程、1冊の書物を読み終えた。
600頁を超える大著だが、昨年末から読み始め、ふた月かかって読み終えたことになる。

三浦雅士『出生の秘密』というタイトルの「文芸評論」なのだが、ことは文学作品論の範疇を超えた、人間本質論に関わる哲学的な論考だともいえる。

少し時間をおいて、思うところを覚え書き風に書き留めておこうと思っているのだが、、、

小説を読んで落涙したことは割合経験したことがあるが、文芸評論や哲学的論考を読んで目頭が熱くなったことは、20代の時、吉本隆明の『マチウ書試論』を読んで以来のような気がする。

出生の秘密、自己意識の秘密、他者と自己、ラカンの鏡像段階論、現実と虚構の倒立、、、
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