気配と囁き ―秘密の薔薇―

個人的な関心事についての日録風覚書。隠されたもの、語り得ぬもの、覆われたもの、向こう側、境界線上のもの、この世ならぬもの、過剰なもの、偏奇なもの、只事でないこと、などについて。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

私的メモ その2

「美はたましいまではいりこむ許しを得ようとして、肉を誘惑する」

「美しいものには、相反するもののさまざまな一致が含まれているのだが、とくに瞬間的なものと永遠なものとの一致が秘められている」
   (同上、242頁)

「どんな芸術作品にも、その作者というものがある。しかしながら、その作品が完全なものであるときには、何かしら本質的に作者の名をかくしてしまうようなものをそなえている」
   (同上、243頁)

「見つめることと待つこと、それが美しいものにふさわしい態度である。自分で考えつくことができ、欲求することができ、願望することができるかぎり、美しいものは出現しない。だからこそ、すべての美の中には、除き去ることができない矛盾、苦、欠如が見出される」
   (同上、244頁)

「わたしたちの中に、美しいという純粋で、確かな感じを起こさせるすべてのもののうちには、現実に神が臨在するといっていい。世界の中には、神の受肉といっていいようなものが存在するのであって、美はこのしるしである」
   (同上、245頁)
スポンサーサイト
雑記・覚書 | コメント:0 |

私的メモ

「神は不在というかたちをとらないかぎり、天地万物の中に現存することはできない」
「まったく神が欠けているということで、この世界は神そのものである」
  ―シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』(ちくま学芸文庫、182頁)

「超越的なものを体験するということ。そんなことは矛盾だと思える。しかしながら、超越的なものは、触れあうことによってしか知られないものなのだ。わたしたちが自分の能力でこしらえ上げられるようなものではないのだから」
  (同上、200頁)

「わたしたちは、神についてはただ一つのことしか知ることができない。それは、神が、わたしたちではないものだということである。ただ私たちの悲惨が、神を映す影である。わたしたちは、自分たちの悲惨をじっと見つめれば見つめるほど、神を見つめていることになる」
  (同上、201頁)

「牝牛というものは、たとえ乳房からしか乳をしぼりださないとしても、その全体が乳をだすものである。同じように、世界は、聖性を生みだすものである」
  (同上、234頁)
雑記・覚書 | コメント:0 |

幻の水上都市「オナトラ船」

コンゴ、かの戦場カメラマン渡部陽一氏が“あそこへ行くのは止めた方がいい。命の保障はない”というほど治安の悪い国だが(何しろ夜ともなれば、警官と兵士が強盗に早や変わりするそうである)、そこを流れるコンゴ川という対岸が見えないほどの大河に、「オナトラ船」という巨大な船が航行しているという。

首都キンシャサと内陸部にあるキサンガニという町の間、1700キロの行程を往復する。
その途方もない船には1000人もの人々が「住んでいる」というのだ。

彼らは客ではなく住人だ。
2つの町を往還しながら、沿岸住民に日常雑貨などを売ることで生計を立てている。
船中には警察が常駐し、人はそこで生まれそこで死ぬ。
一生をその船の中で終える人も多いという。

その話を最初に聞いたとき、私の頭の中では、夜間壮麗な電飾を煌々と灯したビルディングほどもある巨大な船が、滔々たる流れの中をしずしずと進んでいく暗喩と予兆に満ち充ちた光景が浮かび、ある深い物語の一場面を見ているような感慨に耽ったのだった。
随想 | コメント:0 |
| HOME |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。