気配と囁き ―秘密の薔薇―

個人的な関心事についての日録風覚書。隠されたもの、語り得ぬもの、覆われたもの、向こう側、境界線上のもの、この世ならぬもの、過剰なもの、偏奇なもの、只事でないこと、などについて。

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土地の由来

先般引っ越してきた現住地は、歩いて3分くらいのところに稲荷大社があって、当初は大方その神社の氏子になるんだろうと思っていたが、そうではなく、実際は南へ1キロほど下ったところにある藤森神社というところの氏子になるらしい。

どちらも平安建都以前からの神社なので、なぜだろうと思っていたら、今日近所の美容院で家人が仕入れてきた情報によると、、、

現住地はやはり相当古い土地で、そこは4代前からの住人だそうだ。神社のすぐそばだから、一帯の土地が開けたのは、おそらく神社の創建と同じか、もっと古くからに違いない。

稲荷の創建は711年前後、一方、藤森神社は諸説あるようだが203年。
断然藤森の方が古いのであった。

その昔、まだ稲荷がなかったころのこと、このあたりを「稲荷」が通りかかり、疲れたので藤森の神さんに「ちょっと休ませてもろてもよろしおすか?」と聞いたところ、藤森はんが「どうぞどうぞ」と言った。

そのあとがいけない。暫く休んでいた稲荷が、なにやら稲穂を持ち出して一帯を祓った。
すると一面が田んぼになって黄金色の稲穂が実った。

で、稲荷は「ここはわての土地だす」とか言って居座ってしまった。

現在も、毎年定例の行事に、なぜか稲荷へ藤森の宮司がやってきて祝詞を上げるらしいが、その祝詞の中に“土地返せ、土地返せ”というリフレインが織り込まれているとか何とか、、、

やはり、商売繁盛の神さんだけあって、あざとい、、、のか@@;
よくわからんが、、、
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天井の怪異

(2010年06月09日)

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あれはいつだったか、、、
今を遡ること半年以内の出来事だった。

私は二階の一室に寝ていて、いつも12時前に就寝していたのだが、その頃は就寝前の読書時間が延長するようになり、12時を過ぎて消灯していた。

12時半頃だった、仰向けになった頭の左上の天井のあたりから、ずずっという擦過音が聞こえてきた。

何かとても重いものを引きずるような音だった。

何度も何度も何かが擦れるような音が延々と続き、1時間ほども続いてはたと止んだ。

最初に連想したのは、アナコンダか何か錦蛇のような大蛇が、太い胴体をのたくらせている光景だった。

鼠や猫のような小さな生き物ではなく、何かとても大きなものがずずっずずっと音を立てて移動している、、、
しかし、音の発生位置はまったく不動で、同じ場所からずっとその音は聞こえていた。

実体が何かが想像を絶しているので、不思議というより不気味だった。

それはきっかり3夜、同じ時間帯に生じて、ぱったりと止んだ。

いまだに、あの音の正体が分からない。

何か巨大な、猫のような毛物か鱗のある爬虫類のような生き物が、身を横たえながら身体を移動しているような擦過音なのだが、音源の位置が不動なのが不可解だった。

あれはなんだったのか、、、
妖かし | コメント:0 |

ではなくて、、、

(2010年06月09日)

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人間は物語でできている以上に、あるいはそれ以前に、言葉で出来ている。

私が、本当に言いたいことは、、、

“言葉以前”でもあり、“言葉そのもの”でもあり、“言葉以外”のものでもある。

昨日、Nさんとは談林風発の談義であったが、その実本当に話したかったことは、言表としては現れてこなかった領域にあったと思われる。

あるいはまた、その領域があるからこそ言葉が表出された。

言葉を表出することは、他者性において自己を見出すこと。
言語空間において、人は初めて人に成る。
しかし、それ以前は何だったかというと、人は未生だった、といえるのかもしれない。

言葉が湧き出る、または降りてくる。
言葉の源泉は人間には属していない。
それは、無人格の<それ>の領分。
あるいは<外部>。

そこで話しているのは誰か。
私とは何だろう。

このことは、大きな存在や世界そのものに個我が飲み込まれて、自他の区別がなくなることではない。
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言語に関する覚え書き

(2010年06月09日)

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先週末のこと、突然急な仕事の依頼があった。
間接的な知り合いからの依頼で、ある学術書の校正と素読みをしてほしいとのことだった。
何とか時間の遣り繰りが出来そうで、人の仕事振りや他社の仕事内容にも興味があったので受けることにした。

ある学会の機関雑誌で、「認知症」や「知的発達遅滞児」の治療に“絵画セラピー”というものを適用するレポートの特集だった。

内容的には大変興味深いものだった。
クライアントに絵を描いてもらい、お話を展開していくというもの。
認知症患者に自画像を描いてもらうことで意識状態(自己認識)を改善するという技法。
クライアントとセラピストが交互に絵を描き、物語が展開することにより、精神的な発達が促進される臨床の場面などが記述されていた。

中に気になる部分があった、というのは、

心理や精神の状態を扱う場合に言語の成り立ちや本質的な理解ということを無視するわけにはいかない。
そこでも「言語における<他者性>」ということが問題の核に据えられていた。
また、人間と言語を論じた文脈で「わたしたちの存在を私たち自身が証明することの不可能性」という記述が目に飛び込んできた。

私が現在ひっかかりを感じている問題が、心理療法の核心的な部分にも関与しているということが大変興味深かった。

素読み中に手元のメモ用紙に走り書きした断片、、、
「他者→言語体系(ラカン)」

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歓談記 その2

(2010年06月08日)

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Nさんはマスメディアの業界に身を置いておられるが、容易に想像されるような俗っぽさはなく、どちらかというと学究的な雰囲気を持った方であった。
明眸、秀麗な美男子で、これも予想通りだった。

話上手でしかも聞き上手のところが心地良い。

話は共通のネット上での知り合いの話から、内田樹、レヴィナス、デリダにも及び、言語における<他者性>、<外部>の問題へ。
本質論としての言語の問題。

柳田理論の垂直性に対する折口学の水平性の対比。

小説理論と物語論。保坂と大塚。
表現における世界の立ち現れ、儀礼としての殺人に見る物語の現在的意義。

神秘主義における外部性。

など、多岐に渡ったが、非常に刺激的な会話をすることができ、私にとっては大変稀有な歓談であった。

2時間ほどで貴重な時間は終結を迎え、カフェの前で南北に別れた。
またの機会を持ちたいものだと強く思った。
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歓談記 その1

(2010年06月08日)

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今日は、滅多にないことだが、ネット上での知り合いと会うことになった。
人となりはそれなりに予測はつくが、果たしてどんな風な方なんだろうか。

2時に待ち合わせした。
駅まで、家から2分足らずだから申し訳ないような気もした。

観光地だが、今日は平日なので駅頭にも人影はまばらで、人を待ちあぐねている様子から、すぐに彼と知れた。
近寄っていくと、彼もすぐに私と気づいた。
背格好は私とほぼ同じか。

下はぴったりした黒のデニム、というのは予想とどんぴしゃりであった。
彼が、“特に行きたいところがないのでしたら、私が是非ご案内したいところがあります”と言われるので、ついて歩く。
これではどちらが訪問者なのかわからない。

東福寺まで本町通をぶらぶら上がっていく。

東福寺の手前にある寺の、気難しいこと(よくよく関心がないもんは来んといて、みたいな)が書かれた紙が張られた門から入る。

入ろうとしていると後ろから、
“うるさいこと書いてあるけど、気にせんとどんどん入ったらええねん”とけしかけるように言う声が聞こえた。
見ると、散歩の途中らしき老人である。どうやら近所の住人のようだった。この寺の住職は、ことほど左様に近隣の住人とは良き関係を結んでいるのだな、と思った。

庭が枯山水になっているのだが、よくある石庭などとは違い、石が立てて置いてある。
人を拒絶するような冷ややかさはなく、和やかさや賑わいが伝わってくるような暖かな庭である。
重森三玲による作庭とのことであった。

東福寺は初めて入ったが、見上げるほどの伽藍に圧倒される。
紅葉に映える光景が有名な渡り廊下には行かず、外に出て回っていくと、屋根のある橋に出た。
先の渡り廊下の下を流れる細い水路の延長に掛かる橋で、橋上から見下ろすと深い渓谷のような景色が見える。

そこを抜けて、東福寺高架下のカフェに入った。
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界隈散策 その2

(2010年06月05日)

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引っ越してから1週間ほど経った頃、区役所へ届けをする道すがら、あちこちを見ながら自転車を走らせた。

04sosui-01.jpg

“昭和小路”を抜けてすぐのところから疏水を眺める。
たっぷりした水がゆったりと流れている。


05sosui-02.jpg

南へ橋を3つ分ほど下がったところから下流を望む。


06ie01.jpg

橋を渡った直ぐのところにある無人の家。
通りから見下ろすほど低くなった敷地に家屋があり、なんと道から屋敷へ「橋」が掛かっている。
別に下を川が流れているわけではない。

07ie02.jpg

同上。


08honmachi01.jpg

昭和の色濃い町並みが続く本町通り。
時間が止まったような昼下がり。


09honmachi02.jpg

同上。和洋折衷様式の古い家。

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界隈散策

(2010年06月05日)

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こちらへ引越してきてから、もうほぼひと月になる。

引っ越して改めて感じたのは、前に住んでいたところがいかに“乾いた”土地だったか、であった。

桂川という大きな川のすぐそばにあり、元々は田園地帯だったので、通常の土地よりも湿り気が多そうなのだが、その実カラカラに乾いた荒蕪地のような感覚があった。
表現しにくいのだが、現実にはじけじけした箇所もあって、必ずしも水はけが良いわけではないのだが、土地にしっとりした柔らかな潤いが感じられなかった。

緑が乏しかったせいもあるだろうが、住んでいる人間の醸し出す「気」がそう感じさせたように思われた。

こちらでは、時間がゆったりと流れ、人の表情が穏やかである。
昭和の空気が濃厚に残存している。

01genkan.jpg

02zentei.jpg

03showakouji.jpg

写真は上から
玄関前(波板を渡してあるところ)
前庭と横道に設けられた階段
「昭和小路」と名付けた疏水脇へ出る小道
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千本鳥居

2010年06月04日10:04

もうすっかりサスペンス・ドラマなどで有名になっているので、今更珍しくもないだろうが、移り住んだ家から余りに至近距離にあるので、ちょっと紹介を兼ねて。

今の仕事先で知り合った同年輩の知り合いに、今回の転居を知らせたら、そこは懐かしいところでもあるので、是非一度お伺いしたいとの返事が来た。

4日前に彼が尋ねてきた。
聞いてみると、私が移り住んだ地域に、かつて親戚が住んでいて、小学校時代から高校時代にかけて毎年遊びに来ていたらしい。
駅前から稲荷大社へ向かう道々、“あまりに懐かしいので、今夜は夢に見そうだ”と彼が言った。

3分ほどで稲荷に着く。
本殿から右手へ回ると、奥の院へ通じる参道がある。すると、目の前のすぐのところに、朱塗りのあの有名な鳥居群が連なっているのだった。

鳥居01

人通りが激しい。修学旅行生のグループや外国人がほとんどである。
外人は紅毛碧眼の西洋人だけではなく、中国系の外人も多い。

鳥居02

鳥居の朱が想像以上の迫力だった。
とっつきの鳥居群は大きくて参道は1本だが、途中から二股に分かれ、そこからは小ぶりの鳥居が低く連なる。

鳥居03

まるで赤いトンネルのように、みっしりと鳥居同士が密集して連なっている。
次第に、真っ赤な悪夢の中で彷徨っているような異様な感覚に陥る。

じっくり構えて、何とか人通りが途絶えた瞬間を狙ってシャッターを切った。
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近況雑話

(2010年06月03日)

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転居してからそろそろひと月になる。

このあたりは、本当に静かで日中でもひっそりと静まり返って、たまに電車の通過音が響いてくるばかり。
夜ともなれば、ここは山の中の一軒屋かと錯覚するほどの静寂に包まれる。

何日か前、その夜は割合遅くまで家で1人だった。
テレビで、“ゾッとする話”のトーク番組があって、たまたま見ていた。
2,3の話が本当にゾッとするほど怖かったので、思わず部屋の隅の暗がりに目をやってしまった。

この家は諸処に意味不明の空間があって、そこが丁度照明の死角になって暗いのである。
誠に陰影に富んだ古風な造りになっているのはいいのだが、、、

出演者の話、、、
霊感能力を持っている友人を伴って、引越しを済ませた別の友人を訪ねた。
マンションの前にくると、いきなり霊感のある友人が“あぁ、ここは嫌だ、帰る!”と言い出したが、「もう皆集まってわいわいやっているのだから」と宥め、部屋に入った。
入って2,3分経った時、その霊感友人がみるみる青くなり、「帰るっ」と言って挨拶もしないで部屋から出て行った。

あとで、「いくらなんでも、あんな帰り方はないだろう」という話になって、後日その友人を捕まえてなじった。

すると、その霊感友人が
「部屋に入るなり、部屋の右隅の壁に掛かっていたポスターが目に入って、その端がめくれて垂れ下がっていたところから、手が出ていた」
「あっと思って目を逸らし、正面のテレビを見たら、その上から手が垂れていた」
「もう駄目、と左の棚に視線を泳がすと、その後ろから手が出た」
それで物も言わず席を立ったのだ、と。

最初の手は5本とも指を見せていた。次のテレビの後ろから覗いた手は親指を折って4本。最後の棚から出た手は3本の指を立てていた、、、

私は思わず、目の端に見える壁が二重になったところを見てしまった。
そこから、手が覗いているような気がして、、、

この家は、そこここに闇がとぐろを巻いていて、怖いと思えばそいら中が怖いのであった。
妖かし | コメント:0 |
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