気配と囁き ―秘密の薔薇―

個人的な関心事についての日録風覚書。隠されたもの、語り得ぬもの、覆われたもの、向こう側、境界線上のもの、この世ならぬもの、過剰なもの、偏奇なもの、只事でないこと、などについて。

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不可解な夢

昨夜、途中で目が覚めた。
久し振りに夢を見ていた。この2,3日来、そろそろ夢を見そうな気がしていた。

どうにも理不尽な目に遭う夢を見て、いきどおりながら目が覚めたのだった。
醒めても暫くは怒りが収まらず、枕元のメモ帳に書き止めようと思ったのだが、これだけ怒っているという意識がはっきりしているのだから、あえて書き留めなくとも、朝目が覚めても覚えているに違いないと考え直し、また寝た。

その夢というのは、こうである。

家人と夕方にどこか知らない町で待ち合わせをして、そこいらでちょっとした腹ごしらえをしよう、と言って歩いていく。

そこらへんに、何でも知っている店があるようだった。

喫茶店かとも思える店に入る。
そこのマスターと顔見知りらしい。

高級ブティックみたいな内装の店で、営業時間ではなかったようだが、入れてくれた。
珈琲だかを注文して、飲んだあとそこを出ようとしたところ、家人がテーブルの下に傘を忘れたと言うので、入り口を入ったところから座っていた場所にとって返し、テーブルの下を探した。

確かにそこに傘はあったが、他にもう1本知らない傘があった。
それはそのままにして立ち去ろうとすると、奥から屈強な店員が出てきて、待てと言う。

なぜもう1本の傘を拾わないのだ、となじるので、自分のではないから、と言うと、ここから出さない、警察を呼んでやる、と息巻くのだ。

なぜそういうことになるのか、皆目見当が付かないので、物凄く腹が立って、それで目が覚めた。
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日常の風景 その2

昨日はよく晴れて、高くなった空には秋らしい雲が棚引いていた。

自宅とバス停までの経路の途中に、田んぼが2枚あって、そこは住宅街には思いがけないほどの広い眺望が開けている。

空を見上げると棚状の雲が綺麗に並んでいる。

この日はまた、家の前で蜜蜂が相変わらず盛んに飛び回って蜜を集めていた。

秋の雲01

秋の雲02

蜜蜂

どこに蜜蜂がいるかは、ちょっと分からないだろう。
飛び回っているのを見れば何ということはなく、ちゃんと見えているのだが、、、

こうして見ると丁度保護色になっているのが分かる。
左下のエリアに赤く見える葉っぱがあるが、その少し上に蜜蜂がいる。

この密生している小さな花は、もう6,7年以上も前に小さい鉢植えを買ってきて塀際において花を楽しんだあと、枯れてしまったように見えたので、その鉢植えは廃棄したのだったが、翌年からそこいらじゅうから生えてきて、あっと言う間に密生状態になった。

大して蜜などもないと思われるのに、春から秋にかけて蜜蜂がやってきては盛んに飛び回り蜜を採集している。

花の名前は知らないのである。
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日常の風景

3日前だったか、所用で阪急沿線の町に出かけた。
普通電車のみ停車する小さな駅である。

駅前はすぐに住宅街に接する通りになっている。
車が低速でやっとすれ違うことができるほどの狭い道路だ。

そこからすぐに折れ、これもまた路地のような狭い通りに入る。
保育所や飲み屋や整骨院や学習塾などが一般家屋と混在している。
通勤時間帯なので少しは人通りがある。

この道筋はなぜか猫が非常に多い。
それも黒猫がやたら目に付くのは、きっと親子や兄弟なのだろう。
飼い猫らしいのや餌を貰っている外猫などが4,5匹ほど犇めいている時もある。
通行人がすぐ傍を通りかかっても、全く逃げないほど人馴れしているのだった。

玄関先に小さな小屋を設けて、どうやら外猫のねぐらをしつらえてやっている家があって、いつも見るのだが、猫が入っている姿を見かけない。昼間に入ることはないのだろう。

3日前に通りかかった時は朝の9時前で、ふと見ると何やら黒いものが覗いている。
よく見ると黒猫の頭が半分見えている。
通り過ぎながら、帰りにまだいたら写真を撮ってやろうと思った。

10分ほどして、帰りにまた見ると、まだ寝ている。
そこで1ショット、がこれである。

満ち足りた猫

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日常

このところ、仕事の最終段階が長丁場になっていて、元来は今週で終わるはずが、来週かそれ以降にずれ込みそうな具合である。

おかげで、日程的には若干余裕ができ、気分にも少し余裕ができたのはいいが、終盤近くの煩瑣な雑用が錯綜する泥沼のような時間がずるずると過ぎてゆく。

ところで、今日、ちょっといいことがあった。

正午過ぎに所用で出かけようとして表へ出た時、聞き覚えのある羽音が足元で聞こえた。
ブゥーンという小さな虫の羽音、それは忘れかけていたミツバチの羽音だった。

毎年春になれば、毎日のように表の塀際に咲いた小さな花の蜜を集めに忙しく飛び回っていたのが、今年はただの1匹も姿を見せなかった。

数えると2匹のミツバチが確かに飛び回って蜜を集めている。
それから30分ほどして戻ってくると、その数が5匹に増えていた。

またそれから4時頃外へ出てみると6匹になっていた。
忙しく一心に飛び回っているミツバチをみていると、晩秋に近い穏やかな陽射しが一層暖かく心に沁みるものに感じられた。
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思考のヒント

今日は、また久し振りに大阪の本社に出掛けて行って作業をしてきた。
しかし、京都と比べて大阪は暑い。

連日天気予報で比べているが、大抵2度ほど高めである。
梅田、淀屋橋界隈はビルが立て込んでいる上、車の往来も激しいので、温度、湿度とも高く、不快指数は相当な高さだろうと思われた。

梅田では、久し振りに本屋へ入った。
いつもは、ぱっと思いついたり、ネット上で行き当たった面白そうな本を、そのままネット書店にコピペして発注するという、なんとも安直な買い方をしているので、書店の本棚で実際に手にとって見るというのは新鮮な体験となる。

ユングの分厚い翻訳本が目に付いた。これはあとでネットで買おうと思った。
それから、哲学や社会学関係の本棚で『思考の整理学』(外山滋比古)という文庫本が目に入った。
随分以前からその存在は知っていたが、読む気にはならなかった本だった。

一応中身を確認しようと手に取った。
中を読んでみて、これは最近よく見かける、発想のヒントとか整理のハウツー本の種本だということが分かった。
本家本元だから、含蓄深く、かつ読みやすく、応用が効くヒントが満載である。
構えたところがなく、切れとテンポがよい。名文章である。時に巧まざるユーモアもある。
手軽に読めて、実に実践的な示唆に富んだ本なので、買って損はないと思う。

で、丁度昼飯時だったので、どこか喫茶店で昼食を食べながら読もうと買ってみた。

ざっと繰ってみたが、なかなか興味深いことが書いてあった。
エディターシップ、セレンディピティ(元は『セイロンの三王子』という童話から派生した造語)、メタ・ノート、など、、、

中身の紹介は、他でも色々書いてあるようだからよしにして、ここでは中に書いてあって面白く感じた諺を挙げてみる。

“従僕に英雄なし”
 (遠目には立派に思えた人が親しくなってみるとそうでもなかった)
これなどは、「夜目遠目傘の内」とよく似た諺である。

“田舎の勉強、京の昼寝”
これは別に、「田舎者がどんなに一生懸命刻苦奮励勉強したところで、京都人が昼寝しながらちょいちょいと片手間に勉強した程度と同等だ」という意味ではない。
田舎に住んで有り余る時間を勉学に注ぎ込んでも中々思うように成果は上がらない。
それよりも、忙しい都会にあって、時々は休息を入れながら思索に耽る方がよほど効果的だ、というほどの意味である。

“見つめる鍋は煮えない”
これも上と同じような意味で、ひとつことに集中して考え詰めると非常な成果が挙がるということはなく、ふと気を逸らして他に意識を遊ばせていると、いつのまにか考えが纏まっている、という頭脳回路の妙を説いているのである。
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