気配と囁き ―秘密の薔薇―

個人的な関心事についての日録風覚書。隠されたもの、語り得ぬもの、覆われたもの、向こう側、境界線上のもの、この世ならぬもの、過剰なもの、偏奇なもの、只事でないこと、などについて。

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1本の電話

昨夕、1本の電話がかかってきた。
家人が取ったのだが、話しているのを見ていると、何か怪訝そうな面持ちで耳を澄ましている。

どうやら見知らぬ相手からの電話らしい。
間もなく私に受話器を渡して、あなたによ、と言った。

相手は男で、大変親しげな話し振りである。
“Tですが”と相手は名乗り、それが誰であるのか、私には直ぐに分かった。

小学校高学年の同級生である。
彼は実家が店をやっていて、あとを継いで手広くやっている、という話を、私はO県にいたときに聞いていた。

いずれ年内に同窓会をするというので、その誘いと住所の確認のため電話してきたのだった。
大きな声の、構えのない話し振り、元気が溢れている。
京都人には珍しいタイプだ。

彼は、小学校時代、ドッジ・ボールが得意で、上級生と対等に勝負するほど腕力が強かった。
どちらかというと、気が強くて短気で我儘に育った印象があって、特に親しいことはなかったが、ずっと以前、高校か大学の頃か、近くを通ったからと言って、私がいないとき実家を訪れたことがあった。
人懐っこい性格だということが、その時分かった。

そういえば、確か17年ほど前にも一度同窓会をやったことがあり、私は行かなかったが、当時の幹事が、後日写真を送ってくれたことがあった。
小学生の時から色っぽかったF子なんかどうしているのだろう、確か外交官のところへ嫁に行ったはず、と言うと、Tは“いや彼女は○家に嫁いだんやで”と言った。
そうか、外交官なんて誰に聞いたのだったか、まったく記憶に残っていない。
彼女の家は旧家のようで、頭も良かったが性格も良く、美人で色気があった。

中学や高校の時のクラス会は一度も開かれていない。クラスの結束は弱く印象深い思い出などあまりないが、小学校となると、気負いや衒いや社会的しがらみがまったく介在しない分、行ってみると面白いかもしれん。
怖いもの見たさで行ってみるか、それとも幻滅するのが落ちだから止めておくか、、、

それにしても、Tの声や話し振りは、Sによく似ているな。
“しかし、あんたも僕もおっさんになって、あの頃の声と全然違うな”というと、“ええ声ですやろ”とおっさんの返事が返ってきた。
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セ・ラ・ヴィ

いよいよ仕事も最終段階となった。校了印を押すとジ・エンドだが、最後の土壇場になると意識が切り変わるものらしく、目が冴えてきて、見つけなくてもよい(?)細かな瑕疵が目に付き出し、最終確認の遣り取りをするので、益々慌しくなってしまう。

10日ほど前だったか、夜遅くのテレビで“世界の街歩き”というのをやっていた。
ところは南仏のマルセイユ。
タレントの牧瀬里穂がカメラを手に街中をぶらぶら歩き回り、そこらへんの地元の住人に声を掛けて会話しながらカメラで写す、という趣向であった。 実際は、アフレコのようだが。
(これには、うまい仕掛けがあるらしく、そのような演出がなされているようである)

丘の上には大聖堂があって、その尖塔のさらに天辺には大きなマリア像が載っている。
昔から航海や漁業従事者などが海での守り神として崇めているのである。“良き母”と地元では呼んでいる。
聖堂の奥には奥の間のような場所があって、そこにはキリスト像ならぬ大きなマリア像が麗々しく祭られているのだった。

長い石畳のだらだら坂を上って、丘の上の小さな公園のような場所に行く。人影はまばらだ。先を行く1人の老人に声を掛ける。
何とはない会話を交わし、老人の家に招かれる。
小さな入り口をくぐると、そこには畳6畳分くらいのささやかな前庭になっていて、高い塀で囲われたその庭には何種類もの花が咲き乱れていた。

老夫婦2人の住まい。
夫は79で妻は78。2人とも仏語を話すが、若い頃イタリアのシチリア島から移住してきたそうだった。
元々は漁師で今は組合で仕事をしている。妻はいつも家にいて家事をしたり庭の手入れをしたり、、、

2人とも影はなく、かといって底抜けに明るいというのでもなく、、
「牧瀬」が、2人が若い頃イタリアから移り住んだと聞いて驚くと、老いた妻が言う。

“セ・ラ・ヴィ”(それが人生よ)

人生には色々なことがあって、暗かったり明るかったりするが、すべてはそのように過ぎていくものであり、それでいいのだ、と聞こえた。

南仏の光が少しだけ翳り、囁くように風が通り過ぎていった。
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こういうのもあるんだねぇ

(2009年06月05日)
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ぼんやりしながらネット内を彷徨っていて見つけたこんな都々逸、、、

夢で戸たたく現(うつつ)で開ける
外で狐がこんと泣く
雑記・覚書 | コメント:0 |

割りに気に入っている格言

(2009年06月03日)
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1)賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ

2)驢馬を旅に出したからといって馬になって帰ってくる訳ではない

1)は確かアラブの格言、いやイランだったか、イラクだったか、、、
ごく限られた個人的体験や知識でもって、物事を一刀両断に言い切ってしまう自我拡張した人を時に見かけるが、自戒の意味もこめて、、、

2)これは確か独逸だったかの格言。
馬鹿につける薬はない、とか、蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る、とかいうのと同系列の格言だが、それを言っちゃっちゃぁーおしめぇだよ、という身も蓋もない表現ではないところに工夫がある。

こういう格言は、どこか自分自身を棚に上げてあげつらう悪癖を助長するので、あくまでも自戒に留めておくのが賢明だろう。
随想 | コメント:0 |

始まりの終わりは終わりの始まり、、、

(2009年05月31日)
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垂れ込める雲の切れ目から一筋の階梯が見えたと思ったのも束の間

空ろな切れぎれの言葉の欠片がかさこそと風に舞うばかり

あのとき、確かに見えたと思ったのは、気のせいだったのかもしれない

求心性を見事に欠いた、どこまでもずり落ちる世界の端で、手の平に残ったのは僅かばかりの小さなガラス玉だった

明日きっと出て行こうと、いつも1日の終わりに呟く

このいつまでも夜明けのこない、いつも“かつて”と“いつか”の狭間で、小さく声を出してみる

どこでもない場所、そしていつでもある<その時>を待ちながら
詩・短歌 | コメント:0 |

夢 2題

(2009年05月28日)
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一昨日だったか、妙な夢を見た。

どうやら会社勤めをしているらしい。
大阪のようだが、周辺部なのか住宅なども混じった地域に会社がある。

朝出勤したものの、どうもズボンを間違えて半ズボンを穿いてきている。
それがバミューダではなく、普通のスーツのズボンを膝上でちょん切ったようなおかしな半ズボンなのである。
周囲の人間は気がついていないようなのが解せないが、これではとても気になって仕事にならないので、会社を出て普通のズボンを買おうとしている。

少し歩くと、表通りに出る。
向かいに大きなスーパーがあって衣料品なども売っているようだった。

今朝も夢を見た。
夜である。
関東から敬愛する学生時代からの友人Yが訪ねてきている。
神戸の方に仕事関係の知り合いがあって、そこへ行った帰りだと言う。
そこへ、割りに最近知り合った友人S氏がやってきた。

2人は初対面なのだが、いずれ互いを紹介しようと思っていたので、好都合だった。
しかし、どうも話の接ぎ穂がなさそうだった。
YにS氏を、この人はネットで面白い文章を書いていて、優れた言語感覚の持ち主だ、と紹介した。
Yは気難しいところがあって、直ぐには心を許さないので、私が困っている。

ふと思いついて、以前買って置いた焼酎があったのを思い出して、家内に水と氷を持ってくるように言った。
2人とも酒好きだから、2人で飲んでいて貰って、その間に追加の酒を買ってこようと思っている。

どこにポイントがあるのか分からない夢だった。
一昨日のは、どうやら自分自身の対人的な自己表現の問題性が表れていると思えるが、今朝のはどうだろう。

私自身の中では矛盾なく並存している2つの要素が、他人から見ると矛盾を孕んでいて、うまく統合的に受容しかねる、ということが現れているのだろうか。
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笑いのツボ

(2009年05月24日)
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今朝、新聞の広告欄を眺めていると、ある本が目に付いた。
『声に出して笑える日本語』(立川談四楼)とある。

なになに、「ご遺族は今、悲しみのズンドコに沈んでいます、、、」「これは立派なカネジトウです、、、」「フシダラな娘ですが、、、」

これには、ちょっと来たわけです。
特に「ズンドコ」はきついです。腹がよじれそうです。

こういう単純な言い間違いは、家人が特にツボなので、早速披露してやると、もう息ができないくらい笑っている。

午前中はミサに出るのだが、途中で思い出したらどうしよう、と言っている。
帰ってきて言うには、ミサでは真剣に集中していたので思い出さなかった、誰かに言ってやろうと思っていたが、それも忘れた、と。
しかし、思い出すたびに“大丈夫か?”と思うほど、タガが外れたように止め処なく笑うのである。

実は、私も思い出すたびにこらえようもなく笑ってしまう。
「ズンドコ」というのは、私の世代では“旭のズンドコ節”として中学時代から耳に馴染んだ言葉なので、そのインパクトたるや相当な破壊力があるのだ。
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葬送の風景

(2009年05月22日)
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死は常に親しく生に寄り添っている。死ぬまでは生きている、あるいはまた死の不在が生である以上に、死すべきものとして個体は生を享けている。
有性生殖という繁殖の方途を選んだ種に属する個体はその生誕の時から、個体の死を介して種の継続・繁栄に寄与するべく運命付けられている。

過去40年ほどの間に、何度か近親者の葬送に立ち会い、つぶさにその経過を閲した。

最初は、今からもう40年ほど前、家人の母方の祖母の葬送だった。

小さな島でそのころ行われていたのは、島内で完結する葬送であった。
島内の宗旨はほぼ100%が真宗本願寺派であった。
自宅での葬儀を済ませると、棺を近親者が担いで焼き場へ参列者が行列をなして静々と歩んでいく。
途中で、まだ学生だった私も担げと言われて困惑した。
まだ籍も入れていなかったが、わざわざ遠方から駆けつけてくれたということで、存在を認め身内に入れてくれるという確かな証でもあったようだ。

黒の学生服の上から白い割烹着のようなうわっぱりを着た。
額には三角の布を巻きつけ、何かキョンシーにでもなったようであった。
焼き場は道から急な坂道を降り切った谷底のようなところにあった。
一晩かけて焼くのだそうだ。薪を敷き詰めた上に棺を置き、上からも薪を積み上げ、その上に湿らせた松の枝で覆う。
一気に燃え上がらないようにして、長時間かけて焼くことで燃え残りを防ぐらしい。

家に戻って食べさせられた精進落しの料理は、一切魚介類での出汁をとらず、砂糖で味付けした煮〆のような料理で、とても食べられなかった。

次いで、25年ほど前に父が亡くなった。
葬儀社に頼んだ。
入棺の時、葬儀社の担当者が遺体に着せてくれた装束は、、、
額に三角の布、白い経帷子。思いのほか小さい子どものような足に草鞋を履かされ、手甲・脚袢という死出の旅装束姿を見た時は、皆が号泣した。
出棺の時、玄関脇で葬儀社の担当女性が日頃父が愛用していた飯茶碗を割った。

カシャンというその音を聞いた時、父が本当にこの世に縁のないものになってしまったことを、容赦のない冷厳な事実として突きつけられた気がした。
宗旨はこちらも真宗本願寺派だった。

今から10年ほど前に家人の父が亡くなった。
島での葬儀だったが、もう島内の焼き場は使われておらず、本土にある焼き場を使った。
深夜に島の斜面の中腹にある家から浜に近い娘の家に棺を移動した。
棺を出すのは玄関からではなく、家の横手の縁側から出した。

棺を担ぐのは、血の繋がりのある近親者ということだった。
以前、血の繋がりのない者が担いでいて、遺恨があったものかいい加減に担いだものか、棺を落としたことがあったらしい。

先頃継母が亡くなった時は、葬祭会館を利用した。
出棺時の茶碗割りはなかった。
通夜の際、遺体を寝かせた布団の上に魔除けとして短刀や剃刀などの刃物を置くことは、今はしないそうだった。

また、葬儀から持ち帰る清めの塩も、本願寺派では“死は決して穢れたものではない”という意味から使わない、というお達しがあったそうである。

たかだか40年ほどの間でも、地方によって色々な形態があり、また色々に変遷するものである。
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