気配と囁き ―秘密の薔薇―

個人的な関心事についての日録風覚書。隠されたもの、語り得ぬもの、覆われたもの、向こう側、境界線上のもの、この世ならぬもの、過剰なもの、偏奇なもの、只事でないこと、などについて。

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ほんとうのこと(いつまでも暫定)

本当のこと。

世界の秘密というようなものは、実はない。

全ては常に明らかにされているのだから。

古来より、あまたの探求者や苦行家が<世界>の秘密を知ろうと、苦労を重ね、厳しい修業の果てにそれを見出そうとしてきた。

確かに、苦しめば見えてくるものはある。

しかし、これこれのことをすればこうなる、というメソッドが<世界の秘密>を明らかにする、というのであれば、それはそれだけのことである。

誰でも諦めずにやれば、その結果が得られるだろう。
そうであれば、それは秘密でもなんでもなく、単にトレーニングの成果にすぎない。

ほんとうに難しいのは、既にいつも誰にも開かれていて、目前に、あるいはすぐそこにある<世界>が見えるようになること。
思い込みの転倒それ自体が難しい。

私は、別にスピリチュアルな話をしているのでは毛頭ない。

遥か遠くに出かけて、過酷な修業をしなくては見出せない答えは、普通の人間には無縁の問いであり答えである。

そうではなくて、普通の人間が普通に生きていて、ふと気付くとそこにある答えが本当の答えだと思うのだ。

一回限りの人生で、個人が問い掛けるこの世の秘密という問題に、答えがでないというのはそうそうないはずだと思うのである。

個人的な暴論かも知れない。
(この項、未完)
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雑記・覚書 | コメント:0 |

帰りたい場所、、、

そう、、あれはもう今から27年も前のことだった。
その頃、版下屋をやろうと思って、さるプロセス製版会社で修業をしていた。

そこは、10人に満たない零細な会社で、よくある何と言うか吹き溜まりのような、社員はそれぞれが有能ではあるものの、どこか屈折して世を拗ねた挙句に流れ着いたような、そんな社員ばかりの風変わりな会社だった。

社長は2代目だが、先代から傾きかけた会社を受け継ぎ、次々にバッタもんみたいな学参物の訪問販売会社を立ち上げ、同じ事務所で複数の社名を使い分け、自転車操業さながらに切り回している、というつわものだった。

ある時、社員の知り合いが島原の中で新規に飲み屋を開店したというので、何人かで祝いを兼ねて繰り出した。

旧遊郭島原の大門をくぐり、中道へ。

新開店とあって、内装はすべて新しく、真新しく気持ちの良い木の香りが充満していた。
カウンターに座り、飲んでいると小さなテレビがついていた。

見るともなしに見ていると、NHKの特集番組で、東北から単身で東京へ建築労働者として出稼ぎに来ている労働者のルポをしていた。

故郷へ残してきた家族への思いが切々と話され、やがて一面真っ白な雪景色の中に、1本だけ延びるレール上を黒煙を吐き出しながら走っていく列車の映像が、上空からの俯瞰で延々と映し出され、、、

それに被さるように、千昌夫の“夕焼け雲”が流れた。

途端にどっと涙が溢れ、目の前が滲んで霞んだ。涙が次から次へと溢れて止まらない。

自分でもその理由がよく分からなかった。
嗚咽を押し殺している私を見て、店主が知り合いに“彼は東北の出身なのか”と訊いていた。

帰りたいけど帰れない、、、
父親が新潟の出身なので、北国への近親感はあるが、ずっと関西で生まれ育ったので、北国がふるさとという意識はあまりない。

誰にも、懐かしく思え、そこに本当は帰りたいのだが、帰る方途が見つからない場所がある、そんな深い希求を抉り出すような、いい演出と構成だったと思う。
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ある辞世歌

新日曜美術館の再放送を見る。高島野十郎。


 花も散り世はこともなくひたすらにただ赤々と陽は照りてあり


高島野十郎の辞世の歌。

生涯、画壇との交わりを避け、ひたすら写実を目指した孤高の画家。

盗まれたあと、4年間も床下に放置されていたため、カビだらけになっていたが、自分の絵は千年もつ、と豪語した野十郎が施した下塗りのお陰で、完全修復なった「雨の法隆寺」。
針のような雨脚に埋め尽くされた絵が静かな迫力で迫ってくる。

また、彼は生前から親しくしていた友人や知己に、火の点った蝋燭を1本だけ描いた絵を送り続けた、その数40点。

番組のゲストは、彼が自分の心の温かさをお礼に代えて贈った、と言っていたが、私には、そのゆらめく蝋燭の炎が、自然と宇宙をどこまでも見つめようとした彼の、内なる凝視する眼と心の表現だったと思える。

彼は自分の心を贈ったのだ、と。

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以前、上の歌とよく似た歌を詠んだことがあった。
辞世の歌には、まだ早いと思われるが。

 ○降り注ぐ遍ねきものの満ち充ちて風渡るなり主(ぬし)なき庭に
美術 | コメント:0 |
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