気配と囁き ―秘密の薔薇―

個人的な関心事についての日録風覚書。隠されたもの、語り得ぬもの、覆われたもの、向こう側、境界線上のもの、この世ならぬもの、過剰なもの、偏奇なもの、只事でないこと、などについて。

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覚書 ―日の下に新しきもの何もなし―

「日の下には新しきものあらざるなり。見よ、これは新しきものなりと指して言うべき物あるや、其れは我らの前に在りし代々にすでに久しくありたるものなり。」(旧約聖書「伝道の書一章九節」より)

標記の言葉は、ボルヘスのある書物の扉に、ソロモンの言葉として書かれていたものだが、その典拠は上記の旧約聖書の記述にあるようだ。

およそ思想というものに全くのオリジナルといえるものが有り得ないのは、その対象たる<世界>が、いつもそこにあって、常に生成しつつ不変の本質を持っており、それを個々人の都合であれこれあげつらっているだけに他ならないからだろう。

初歩的な独我論(この世界は自分の意識が作り出した幻影または虚像)が、脆くも破綻するのは、この世界に出現している自分の存在そのものが、自分の意思と関わりなく既に前もって出現せしめられていること、また自己および他者との唯一の交通手段である言語体系が、自分の意思とは関わりなく外から来ていること、などで明らかだと思われる。

プロティノスを読んでいて、最初何故かしきりに般若心経を思い出していたのだったが、禅系列の思想家が西洋神秘思想に近親感を抱いていたらしいこと、またいわゆる京都学派の哲学者がその遠い影響下にあったらしいこと、等々を考えると、東洋も西洋もなく、また、ギリシャから東洋は始まる、と密かに言われているのも頷けるのだ。

40年ほど前、学生時代に背伸びをして、久松真一の「東洋的無」を読んだことがあった。
その中に、ユングと直接会った時のことが書かれていて、ユングに「集合的無意識の底は抜けられるか」と問うと、ユングが思わず「引き込まれて」「そうだ」と答えた、という箇所をよく覚えていて、今になって、そのことがベーメの「無底」という考え方にも繋がってくると思えば、大した大回りをして今に至っているものだ、とつくづく感じ入るものがある。
(この項、つづく)
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雑記・覚書 | コメント:0 |

通りすがりのタケとご隠居

ご隠居「なんだ、誰かと思ったらタケじゃねぇか、そんなところで何をもじもじしてるんだか、、、プーたれてないで、ちょっとこっちへお入りよ」

タケ「えへへ、こんにちは^^」

隠「なんだい、いきなり、そのエヘヘってのは、、、いつもお前さんはそんなだから、いくつになっても物にならないんだよ」

タケ「エヘヘ、そんな顔を見るなり、ぽんぽんぽんぽんお説教ばかり、そんなだからご隠居はいつまでたってもお亡くなりにならない、、、」

隠「何を馬鹿なことばかり、そいでこの頃は何か打ち込んでいることでもあるのかい」

タケ「エヘヘ、そうきたか」

隠「馬鹿だねぇー、こいつは、、、」

タケ「ここんとこ、ちょいとプロティノスの『善なるもの一なるもの』 (岩波文庫)って講釈を読んでます」

隠「ははぁー、そいつはいいや、お前さんもとうとうそこへ来ちまったか」

タケ「エヘヘー、デネ、コイツが滅法面白いんでがす」

隠「うん、そうだろそうだろ、で何が分かったかい?」

タケ「エヘヘー、なんでもこれが哲学だとばかり思って読んでましたらね、どうもそんなどこじゃないんで、、、」

隠「うむ、うむ」

タケ「なんですね、これはよく新プラトン主義の大元の親方だっていう、専らの噂ですが、深いでげすね」

隠「やっと、お前さんもそこに気がついたかい」

タケ「えへへー、どうもね、存在論かとおもやぁー認識論でもあるし、それだけじゃねー、あらゆる宗教や信仰やなんかの基礎に据えたいほどの大した講釈だとおもいやしてね」

タケ「中世の神学の基礎付けというばかりか、近代の哲学やなんかの考え方がぜんぶ詰まっている、という、、、何だかここんとこ頭が興奮しちまってよく眠れない、というか、よく眠れる、というか、、、」

隠「なんだいそれは、どっちなんだい」

タケ「一者とは、そのつまり有れどもあらず、言うに言えないものだってことで」

隠「なんだ、それが落ちなのかい、滑って、、、ないか^^;」
読書断片 | コメント:0 |

外部からの視線

ある方の日記を拝見して、とても関心を惹かれる事柄が書かれていた。

ある有名な時計メーカーが出資している時計職人養成所の所長の話。

およそ直径が2.5センチほどの腕時計には、360個ほどの部品が詰まっているのだそうだ。
それらを寸分の狂いもなく収めるのには、職人本人の目が研ぎ澄まされ、手先が器用なだけでは足りない、というのだ。

そこに、ある宇宙的な視座、いわば「神の目」のような視点が加わらなければ、完璧な組み立てを成し得ぬ、そういう話だった。

実際上は本人の目であって、しかも本人の目ではない視線、、、

いわば、よく言われる雑念を捨て「無心」になる、ということでもあろうか。

――時計の構造とそれを支える理論は、宇宙的視野という「外部からの眼差しがないことには理解できない」、、、

その日記の書き手は、そこから他者からの承認を必須条件にする「自己愛」の問題を論じておられたが、、、

私にとっては、そういった自己のものでありながら自己ではない、ある宇宙的な視座、そういう切り口がとてもよく分かるような気がした。

中々言語化するのは容易ではないが、またいつか書くことになるだろう。
ご挨拶 | コメント:0 |

「時間」に関する覚書

ある方が、その日記の中で大変困難な問いかけをしておられて、、、

曰く、
時間の断片を細分化していくとして、ある断片とその隣接する断片との間の連続性は如何に了解されるのか、、、

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時間そのものを問題にした研究は少ないようである。
現代の物理学では、時間は空間と切り離しては考えられないとされている。

カントによれば、時間とは空間と同様、先験的な「感性的直観の純粋形式」であり、それ自体として存在する何かではないようだ。

私が一旦コメントしたあと、取り下げた内容は以下の通りであった。

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また、とんでもなく難しい問いを出されたものです^^;
お蔭でこの2日というもの眠れませんでした(嘘ですが、、、^^;)

時間というのは、それ自体としては取り出すことのできない、時間と空間の統合としての、この<世界>の存在様式そのものだと思われます。

「断片」の極小単位としての<瞬間>というのは、字義通りの意味では「捉え」られず、どこまでも微分可能な時間の、現実的にも観念的にも到達不能な最小単位と定義できるかも知れません。

時間の連続性を問うことは、対象的存在の局所的時空間における同一性を問うことに等しいと思われますが、それは突き詰めると観察者としての自己という意識、自分が自分であるという事態の連続性と同一性がどこに由来するか、ということになると思います。

自己の同一性と連続性の認知は、自分の身体の奥底より<おのずから>やってくる、と言う他はないかも知れません、、、

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当初の問いとは大分離れてしまったようだ。
雑記・覚書 | コメント:0 |

『死の迷宮』

少し前になるが、F・K・ディックの『死の迷宮』を読んだ。

ディックは随分昔読んだような気がするのだが、よく覚えていないのだった。

奇怪で奇妙な世界。
風変わりな「神学」や、寓意や象徴を即物的に実体化したような存在が登場する。

どこか捻れたような、偽物じみた世界。

ある箇所に1回だけ「カントの物自体」という言葉が出てくるのだが、<世界>を巡って「仮象」と「実体」の相関にこだわるディックの、さりげない仄めかしだと思われる。

訳は「お約束の」ともいうべき悪訳で、文章の不完全さがディックの表現的な試みからくるのか、描かれた不条理な世界の構造からくるのか、はたまた原義遡及と文学的表現の狭間で行き詰まり、「誠実に」あるがままの直訳の提示で無力を表明した証しなのかは不明だが、読み進むうちに何度も放り出したくなった。

おまけに、最後の方で落丁に加えて乱丁があり、デジャブの手法によっていやが上に超現実的な世界を構築したのかと錯覚させられたせいもあり、頭が変になりそうだった。

悪夢とも妄想ともつかぬ、奇怪な世界で事件が連続するのだが、どこか曖昧で今にも解体してしまいそうな心許ない感覚が持続する。

死以外には救いや解放がないという設定で、離人症的な感覚をSFにすればこうなるかも知れない、とふと思った。

今後、他の作品も読んでいきたい。
読書断片 | コメント:0 |

再々開の辞

何とか、中断期間を埋めるべく、夢日記と短歌のいくつかを再録した。

また、ぼつぼつと書き綴っていきたいと思う。

どうか、お気軽にコメントなどよろしくお願いします。

今は、仕事が追い込みなので、ゆっくり書けませんが、、、
ご挨拶 | コメント:0 |

「ぬばたま」より 三首

2007年09月28日
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○降り注ぐ遍ねきものの満ち充ちて風渡るなり主(ぬし)なき庭に

○水底(みなそこ)の青き淵より湧き出づるぬばたまの夜と世界秘密と

○不意打ちに悦びは降り虚空より廃園うづむくれなゐの薔薇

詩・短歌 | コメント:0 |

短歌 八首

過去1年ほどの間に詠んだ短歌より
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○くちなはの赤き喉奥魅入られし今生の夢萩の花咲く

○廃園に四季咲きの薔薇咲き誇り蒼穹の果て罅割るる玉座

○昏らきくれなゐ沈めつつ紅葉せり葉叢吹き零れて深き暗渠

○魂鎮め言葉沈め眺むる空うつそみの幻月懸かりゐて

○死は炎(ほむら)立つ一瞬の写し絵さきの世の
     赤き馬駆け去りしのちの夕映え

○漏刻のセピアに骨透けし背中(そびら)
     われとわが犯しゆく少年の<時>

○闇充ちし心にあらね月光を浴びゐて見ゆる闇の深さは

○脳幹をひらりと打ちし赤き尾の魚閉じ込むる玻璃(はり)の欠片(かけら)は

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夢日誌

2007年09月28日
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今朝方、久し振りに記憶に残る夢を見て目が覚めた。

どういう経緯があってか分からないが、小学校~中学時代の同級生の1人に会っていた。

実際上は、それほど親しかったわけではなかったが、話をすることはあった。
旧家の子息らしく、大きな門構えの家に住んでいて、派手な化粧をした母親がいた。
割合美形の顔立ちだった。元来頭は良さそうに見えたのが、急速に地の凡庸さが露呈してきて、小学校の終わり頃には、すっかり見るかげもないつまらぬ男に成り果てた。

後年、社会人になった彼を見かけたことがあったが、何か世を憚るような、妙に塩垂れた敗残者のような印象だった。

で、夢の中で見ると、どうも様子がおかしい、、、
一見して性別が曖昧な容姿になっている。

おかっぱ頭のような変な髪形をしている。
よくよく聞いてみると、最近性転換手術をしたそうだった。

ふうむ、もともとそういう気があるようには見えなかったが、、、

また、そのあとどういう経路でだったか、仕事関係の飲み会のような集団でどこかの店に行った。

店の二階座敷に上がる。

そこに腹違いの下の妹がいて、何か様子がおかしい。

聞いてみると、こちらも性転換をしたのだ、と言う。

もともとあまり性的な関心があるような感じではなかったが、、、
小さい頃、そういえば、、、

どうにも不可解な夢であった。

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鮮やかな色彩の川の夢

2007年07月19日
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20年ほど前には、よく川の流れている夢を見た。

川と言っても、用水路ほどの狭い川である。
川面は地面すれすれほどにたっぷりと流れている。

澄み切った水で、水の中が鮮明に見て取れる。

川底には一面に長い川藻が生え、びっしりと川底を覆い、流れに沿うようになびいている。

鮮やかな緑色の中に黄色の縞模様のような色が見える。

よく見ると、その川藻だと見えたものは、川底を覆うほどにびっしりと蝟集した青大将の群れだった、、、

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謎めいた夢

2007年07月17日
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一昨夜、久し振りに記憶に残る夢を見た。

夜中過ぎに目が覚めて、その直前に見ていた夢である。

広い道を隔てた向かいの家に来ている。
道は靄か霧のようなものに覆われ、よく見えない。

向かいの家というのは、住居ではなく、何かの修行道場のようなものらしい。

薄墨色に沈み込んだ暗い世界、、、

夜でもなく、曇天でもなく、光源はどこにもなく暗いが、漆黒の闇ではない。

建物の横手から裏へ廻る途中で人に会う。

小僧でも僧侶でもない、中堅クラスの修行僧のリーダーのような男性。
建物の横手に開いた勝手口兼渡り土間のような場所に洗い場のような所があって、そこで出遭う。

「何百何千と人が来ては沈んで行くのだが、そこにポコッと浮いて出てきたのがあんたやった。わしは嬉しゅうて嬉しゅうて、、、」
と言って、泣くようにして喜んでいる。

どうやら宵の口に何処かで飲んできたらしい。
「嬉しいので、またちょっと飲みたくなった。それで、何か見繕って酒を持って来てくれんか」と言う。

肴には塩鯖でも焼いてはどうか、しかしこの夜中に青魚なんぞを焼くと匂いが強くて、近所から苦情が来るのではないか、などと思案している。

それにしても、家の冷蔵庫にお誂え向きに塩鯖なんぞ買い置きがあっただろうか、、、

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不可解な夢

2007年04月20日
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昨夜も夢を見た。
きっと見るに違いない、という予感はあった。

幾分記憶が薄れているが、これまでに見たことがない種類の変わった夢だったので、曖昧だが書き留めておくことにする。

夢の中では、私はどうも学生のようだった。

ゼミなのだろうか、あるワークショップのような集まりに出る必要があった。
そこでは、イスラム系の芸術講座が開かれているという。

行ってみると、5,6人がフローリングされた床にじかに座っていて、教師のような人がいた。

何となく白ずくめの長い衣のような衣服を着けている。

印刷されたある長い文章のようなものを皆の前で音読する、ということになった。

どうも、その文章の途中に嵌めこまれた箇所にくると、トランス状態になる可能性があるらしい。

異言(神懸り状態で神の言葉を発すること)を吐くのかも知れない、と思った。

何かそのような夢だった。

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このところ読んでいた小説というのは、『バラバ』である。

昨夜読み終わった。

深いところで心を掻き乱されるような類の小説だった。

思弁的でも敬虔でもない、無知で粗野、残酷で非情だった男が、ある種の<見神>体験をし、そのあと自分が何者であるか分からなくなって放浪した挙句、長い過酷な奴隷生活を経て、彼なりの<信>に目覚める物語、といえようか、、、

知の働きや損得の条理を越えたところで働く<信><愛>、、、

無自覚な魂が、自分の<意に反して>その本性に目覚め、体現していく何か、、、

<根源>という言葉が浮かんでくるのだ。

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不穏な夢

2007年04月19日
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手持ちの仕事を、16日月曜の午前3時半までかかって、やっと終えることができた。

やはり、生活時間が乱れると、回復に時間がかかってしまう。
昨日から何とか体調が回復したのだが、、、

このところ、盛んに夢を見ている。
それも、久々に不穏な夢。

昨夜の夢は、、、
どうやら夫婦で、見知らぬ広い屋敷に住んでいる。

夜なのだろうか、光がどこにもなく薄明の中に沈み込んだように暗い。それでいてぼんやりと見えている。

広い家は、外周が壁ではなく、ガラス障子のような戸で外部と区切られている。

玄関から見ると、向かいの家に夫婦ものらしい2人連れが訪れている。どうやら犬を散歩させていたらしく、2匹の犬を連れている。
小型の日本犬のようだった。

その夫婦は、私が今住んでいる家の家主のようでもある。

こちらに気がついて、入ってこようとする。

それがとても恐ろしい。

もう門内を入ってきているのだが、声を掛けると、その2人が飛んでもない言いがかりをつけて凄んでくるようで、それができない。

犬をけしかけて襲い掛からせるのではないかと恐怖が募る。

警察に、家宅侵入の通報をしようか、または一応「何の用があって、人の家に無断で入ってくるのか」と聞きただしてから通報した方がいいのだろうか、夢の中で考えている。

家の中も外も、太陽のなくなった昼間のように暗い。

玄関の戸を見ると、一部が捩れたように歪んで破られているのが分かる。

怖くて堪らない、、、

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錯綜する夢

2007年03月05日
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昨夜、久し振りに記憶に残る夢を見た。
見たのだが、どうもストーリーが判然せず、断片の記憶だけが残っている夢。

夜中に夢を見ていて、ふっと目が醒めた。
夢の断片がフラッシュバックのように頭をよぎる。

これは書き付けておこうか、忘れるかもしれないし、と思いつつ、これまでの夢を記憶しそこねた夜半の寝覚め時の意識状態と比較してみて、これだけはっきり覚醒しているという自覚があるのだから、きっと二度寝しても記憶に残っているだろう、と思い直し、改めて寝ることにした。

しかし、覚醒レベルが相当高かったせいか、中々寝付けない感じだった。

朝起きてみると、やはり夜中の目覚め時と同様の記憶が残っていた。

何でも戦争か紛争が起こっていて、それに巻き込まれているようだ。

記憶に残っていない混乱したあれこれの出来事があって、ふと気付くと高高度の偵察機に乗って敵国の上空を飛んでいる。
山の稜線を2列の隊列を組んで、黙々と進んでいる情景が下方に見える。
どうやら北朝鮮のものらしい。
目を凝らすと、それは地味な野良着のような服装に身を包んだ女性の隊列であった。
ああいった乱れの無いひたむきな様子は、わが国では失われてしまった、とか誰かが言っている(自分が誰かに言い聞かせているようでもある)。

そうするうちに、どこかの建物の中にいて戦闘に巻き込まれている。
銃が乱射されたりして、味方の女性が2名倒れてしまったようだ。

どことなく見知った女性で、そのうちの1名は家人のようにも思える。

倒れたあと2人は、なにやら筒状の導水管か通気管のようなものの中に寝かされている。

1人は首が伸びきってしまい、途中でちぎれてしまった、とか誰かが言っている。

ちぎれたのなら、もう生きてはいまいが、それにしては何か声が聞こえているのは不思議だ、と思い、管の中を覗いてみると、確かに異様に伸びきった首が途中で分断されてはいるが、延髄の中の神経束?が赤い帯状になってだらんと引き出された状態で繋がっているのが見える。

本人は意識があるようだ。

脳脊髄液はどうなったのだろう、ああして空気中に晒していると乾燥してしまうが、切れた皮膚を繋ぎ合せて、脊髄も接合すれば、また元のように脳脊髄液が分泌され、内腔は充たされるのだろう、とか考えている。

手術してもらうとしたら、マイミクのEBNHさんに頼もう、とか考えている。

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舞台のような茶箪笥

2007年02月28日
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今を去ること7,8年前のことになるだろうか、その頃中国地方のO県に住んでいた。

隣町にあった百貨店もどきの大型スーパーで家具の即売会があった。多彩な品揃えで、普通の家具屋では余りお目にかかれないような大型家具も並んでいる。

品物の大きさや豪華さに比して、価格が大変安かったのは、これが受刑者による社会復帰のための習作だからであった。

ふと、ある食器棚に目が吸い寄せられ、身動きできなくなってしまった。

高さは120センチほどで、食器棚というより大型の茶箪笥のようでもあった。幅は広くておよそ150センチほどか。
桜材だったと覚えている。

格調が高く、しかも華やかさがあった。
丁度、大名家の雛道具のような雰囲気の、、、

ガラス戸の中を覗いて見ると、左右それぞれの上方に小部屋のような扉付きの棚があり、表面が湾曲している。その前には廊下のような棚がついていて、それが中心のほうへ伸びている。

その中ほどあたりが、橋のようにも見える欄干のような飾りがついた渡り廊下になっている。

そこここに隠し部屋のような、扉付きの棚が配置され、全体がどうやら豪奢な歌舞伎か何かの舞台仕立てのようなデザインになっているのだ。

いつまで眺めていても飽きることがなかった。
価格は、低価格なものが多い中に、これは20万円台だったが、これほど所有欲を駆り立てられた家具に出会ったことがなかった。

難を言えば、中の扉などに描かれた蒔絵風の絵柄が、稚拙な筆致だった。

経済的にも空間的にも余裕とてなかったので、買うことは断念したが、茶箪笥の中の「空間に魅入られる」という得難い経験が出来たのは幸せだった。

茶箪笥の中に、深い奥行きと立体感のある空間が演出され、今にも鏡花の夢幻劇のような、魔物や魔性の女たちが跳梁する世界が動き出す、、、

その中に住んでみたいような気がしたのだった。
もうこちらへは戻れない、、、

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夢の覚書

2006年10月06日
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今朝、起きる間際に見ていた夢。
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どこか、山の近くの川岸。小さな区画に家があり、今は引退した老数学者が住んでいる。
いつも家の周囲を、運動がてら周回しながら散歩している。
とても気分良く過ごしている様子。

話をしてみると、一人暮らしではなく、誰か奥さんではないが家族と同居しているらしい。

傍を流れている川の幅は狭く、雨のあとなのか濁って急な流れである。川が山あいから流れ出る直ぐの場所に家は建っている。

場面は、どこか教会の中に変わる。
そこで、私が近くに座っていた神父(?)に、預かっていた小さな十字架を返しながら、受洗したいのだが、と申し出る。

すると、その神父は、今の申し込みでしたら、カテキズム(公教要理)の勉強は毎週木曜の午後1時ということになります、と言う。

仕事があるので変えてもらいたい、と言うと、それは決まりだから出来ない、と言う。

再度場面は変わり、どこかの礼拝堂の中。別の日か、違う時間帯。

こんな杓子定規な対応では間尺に合わないので、自分独自の信仰を深めるまでだ、と考え、少し離れたところにいた中年婦人と気持ちが一緒になり(その方も同様な事情を抱えているらしい)、信仰というものの実感に感極まって、2人とも泣きながら、嬉しさの感情に満たされていく。

こういうのは、性的な喜びに勝るものだな、と思ったりしている、、、
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もっと、色々細部はあったが、概ねこんな内容だった。

今まで見たことがない種類の夢だったように思うので、取り敢えず、忘れぬ内に書きつけておくことにする。

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夢の中で、、、

2006年07月31日
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初めて母の夢を見た。

長い人探しの旅の終わりに、、、

何処かの見知らぬ夜明けの街角。
歩道で出会う。茜色のシンプルなワンピースの女性。

若くて綺麗で溌剌とした母。

目を真っ直ぐに見詰め、心から笑いあう。一緒に走っていく。
こんなにも笑う事が気持ちのいいものだとは、これまで分からなかった。

体はそれぞれ別だが、心が一つになっている。繋がっている。
一点の曇りも不安もなく、完全に通じている。

何の遠慮もなく、心配もなく、掛け値なしの繋がり。
会えてよかったな、嬉しかったな、お母さん。

親子の繋がりが、こんなにも安心できて、気持ちのいいものだとは知らなかった。
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これは、夢の中の話で、後半は目覚め直後の半覚醒状態での感想である。

普段は、こんな文章は書いたりしないが(恥かしいので)、生まれて「初めて」母の夢を見たので、記念に書いてみた。

内容に責任は持てない、、、

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夢日誌

2006年07月30日
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昨夜夢を見た。
夢はよく見ているようなのだが、覚えていないことが多い。

しかし、昨夜の夢ははっきり覚えている。明け方、夢の終わりに目覚め、しっかり記憶していることを確かめた。

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観光バスのような大型バスに乗って、どこかへ行こうとしている。

どうも<聖地>巡礼ツアーのようなものらしい。

その内、バスが山道に差し掛かる。
それはとんでもない急傾斜の道で、殆ど60度以上の急傾斜でのけぞりそうになっている。

外を見るとあまりの恐怖で死にそうになるので、前部に立って乗客に向かい歌を歌っているガイドと一緒に歌って恐怖を紛らせている。
ガイドの顔に見覚えはないが、どこか懐かしい身内のようである。

山はどうも、衝立のような形態の高い山で、恐らく1000メートルは超えているようであり、上空から俯瞰すると、山頂はバスの幅一杯くらいの平地があるばかりで、反対側の山肌は同様に切り立った断崖になっている。

その山頂に何とか無事に到着するが、そこが最終目的地ではなく、中腹に棚のような平地があってそこが聖地で、山頂からバスが1回横転して落ちて行き、体操選手か忍者のようにすちゃっとそこへ着地する以外に、そこへ行く術がないらしい。

恐怖に引き攣りながら、何とかそこへ着地すると、いつのまにかそこには平らな荒地が拡がり、地元の人達がお参りに来ている。

中の長老のような年配の男性ががっくり膝を落し、ここの泉が枯れてしまったからには、○○座○○派はもう終わりだ、と言っている。

すると私達の集団から、私より年嵩の男性が歩み出て、そんな泉の一つや二つが枯れたからといって滅んでしまうような宗派は駄目だ。
目に見えるものにすがっているような信仰は、本物ではない、と言う。
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どういう訳か、こういう垂直軸が出現する夢をよく見るようである。

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