現代の巫女 ―ちあきなおみ―
Category * 音楽
先週の土曜に、NHKで「特集歌伝説 ちあきなおみの世界」という番組を見た。BSで先に放送されたものの再放送らしい。
かつて偶々、ちあきなおみが「矢切の渡し」を歌っているのを聴き、別の能天気な演歌歌手の歌でしか聴いたことがなかったこの曲が、まるで違うものに聞こえて驚いたことがあった。
この歌手が歌うと、うまいという以上に、眼前に情景が生き生きと浮かび上がってくるのである。
歌が抜群に上手くて、どんなジャンルでもこなせる、ということから言えば、美空ひばりもそうだが、しかし2人を比べると、なんというか、上手さの次元が違う、という感じがする。
ひばりは確かに上手いし天性の才能を持っていると思う。
しかし、ひばりが歌う時、そこに現れるのは歌が上手くて楽しそうな<ひばり>自身であって、歌そのものは背景に後退してしまう。
しかし、ちあきなおみが歌うと、そこに歌われている世界が<現前>する。
ちあきが芸能の世界に姿を見せなくなって大分経った頃、CMで「黄昏のビギン」が流れているのを聴いた。
どこかで聴いたような声だが思い出せない。
今の日本にこんな上手い歌手がいたのか、とその時は思ったのだが、それがちあきだった。
ピアノまたはピアニシモでの繊細な表現力は特筆に価する。
で、NHKの番組だが、「紅とんぼ」はやはり絶品だった。
しかし、まだ聴いたことがなかった曲で、、、、
「夜を急ぐ人」、これを聴いた時、戦慄が全身を駆け巡り、泡立つような恐怖さえ覚えた。
黒一色の漆黒の闇が、いきなりばかっと裂け、そこから名付けようもない<それ>が、おいでおいでと手招きするのだ。
何かが憑依し、ちあきはそこで別の何かに変容している、、、
かつて「紅白」に出場した時の映像だそうだが、こんなに怖い歌を聴いたのは初めてだった。
因みに、ちあきの全曲集の最後には「別れの一本杉」が収録されている。
やはり、この歌手の選曲眼(耳)は確かなものに思えた。
かつて偶々、ちあきなおみが「矢切の渡し」を歌っているのを聴き、別の能天気な演歌歌手の歌でしか聴いたことがなかったこの曲が、まるで違うものに聞こえて驚いたことがあった。
この歌手が歌うと、うまいという以上に、眼前に情景が生き生きと浮かび上がってくるのである。
歌が抜群に上手くて、どんなジャンルでもこなせる、ということから言えば、美空ひばりもそうだが、しかし2人を比べると、なんというか、上手さの次元が違う、という感じがする。
ひばりは確かに上手いし天性の才能を持っていると思う。
しかし、ひばりが歌う時、そこに現れるのは歌が上手くて楽しそうな<ひばり>自身であって、歌そのものは背景に後退してしまう。
しかし、ちあきなおみが歌うと、そこに歌われている世界が<現前>する。
ちあきが芸能の世界に姿を見せなくなって大分経った頃、CMで「黄昏のビギン」が流れているのを聴いた。
どこかで聴いたような声だが思い出せない。
今の日本にこんな上手い歌手がいたのか、とその時は思ったのだが、それがちあきだった。
ピアノまたはピアニシモでの繊細な表現力は特筆に価する。
で、NHKの番組だが、「紅とんぼ」はやはり絶品だった。
しかし、まだ聴いたことがなかった曲で、、、、
「夜を急ぐ人」、これを聴いた時、戦慄が全身を駆け巡り、泡立つような恐怖さえ覚えた。
黒一色の漆黒の闇が、いきなりばかっと裂け、そこから名付けようもない<それ>が、おいでおいでと手招きするのだ。
何かが憑依し、ちあきはそこで別の何かに変容している、、、
かつて「紅白」に出場した時の映像だそうだが、こんなに怖い歌を聴いたのは初めてだった。
因みに、ちあきの全曲集の最後には「別れの一本杉」が収録されている。
やはり、この歌手の選曲眼(耳)は確かなものに思えた。
2006/03/02 12:03:39 Comment * 0 Trackback * 0
カルミネ・メオ(PART1)
Category * 音楽
今回は、小説ではなく音楽作品の紹介。
表記のアルバムは、日本では2000年に発売された(?)もので、当時は相当評判になったようである。
それは最初、テレビ東京の美術番組「美の巨人たち」のエンディング・テーマ曲として流された。1997年頃だったようだ。
美術番組としても工夫があって、洒落たショートストーリーを作品に絡ませて見せる、実にセンスの良い構成になっていて、お気に入りの番組である。
何回か見るうち、番組内容から受ける心地よい感銘が覚めやらぬ最後にこの曲が流れ、何か激しく内部からこみ上げるものがあるのに気付かされた。
最初、それは番組内容からくるものと錯覚していたのだったが。
曲名を見ると、“Spente le stelle”(星に想いを)となっていた。
ずっと心にひっかかていて、1年程前にネット検索で見つけ出し、注文した。
15曲が収録されており、Spente le stelle は2曲目に入っていた。
最初の曲は1分ほどの短い序章のような曲だった。
どこか太古の海のざわめきを連想させる、<予兆>に充ち満ちた、密やかな音の群れが展開していく、、、と、知らぬ間に2曲目に連携して曲が立ち上がる、、、
なんと形容すれば言いのだろう、、、曲が進むにつれ、体の(心の)通常では考えられないほどの深みから、何か圧倒的に熱く滾るような情念が、というより<情動>が喚起され、凄まじい勢いで圧倒されていく、そんな感じだった。
横隔膜が、どうしたのか、と自分でも訝るくらいの起伏を打って波打ち、気が付くと嗚咽が号泣に変わろうとしていた、、、
こんなにも深い感興を齎す音楽を他で経験したことがなかった。
ジャンル分けは不可能な、様々な要素が絡み合い、重層的に展開していく。
オペラのアリア、カンツォーネ、ポップス、コーラス、、、、
かつて西洋の没落とかなんとか言われた時期もあったが、このアルバムを聴いて、西欧の歴史的な深さや厚さ、長大にして広大な沃野や岩盤に圧倒されそうになった。
歌い手は、エマ・シャプラン&フレンチ・オペラ・クワイアとある。
15曲の殆どはラテン語による歌詞で歌われ、どこか熱情を帯びた壮麗・荘厳な宗教曲のようにも聞える。
この作品の場合は、熱情溢れる祈りという形で、永遠なるものへの希求を見出すことができるだろう。
因みに、1曲目の題名は「de l' abime au rivage(深淵から岸辺へ)」。
他に曲名は、「ルシフェルは、あの日」「マリアに祈りを」「神の怒りに」など、まるでレクイエムのようだが、決して抹香臭いことはない。
“Tutta notte”と、祈るような囁きにも似た章句で始まる「miserere, venere...(ミゼレーレ、ヴィーナス)」も、「汚れてしまった」わたし(たち)の痛悔からの祈りに重なるようである。
表記のアルバムは、日本では2000年に発売された(?)もので、当時は相当評判になったようである。
それは最初、テレビ東京の美術番組「美の巨人たち」のエンディング・テーマ曲として流された。1997年頃だったようだ。
美術番組としても工夫があって、洒落たショートストーリーを作品に絡ませて見せる、実にセンスの良い構成になっていて、お気に入りの番組である。
何回か見るうち、番組内容から受ける心地よい感銘が覚めやらぬ最後にこの曲が流れ、何か激しく内部からこみ上げるものがあるのに気付かされた。
最初、それは番組内容からくるものと錯覚していたのだったが。
曲名を見ると、“Spente le stelle”(星に想いを)となっていた。
ずっと心にひっかかていて、1年程前にネット検索で見つけ出し、注文した。
15曲が収録されており、Spente le stelle は2曲目に入っていた。
最初の曲は1分ほどの短い序章のような曲だった。
どこか太古の海のざわめきを連想させる、<予兆>に充ち満ちた、密やかな音の群れが展開していく、、、と、知らぬ間に2曲目に連携して曲が立ち上がる、、、
なんと形容すれば言いのだろう、、、曲が進むにつれ、体の(心の)通常では考えられないほどの深みから、何か圧倒的に熱く滾るような情念が、というより<情動>が喚起され、凄まじい勢いで圧倒されていく、そんな感じだった。
横隔膜が、どうしたのか、と自分でも訝るくらいの起伏を打って波打ち、気が付くと嗚咽が号泣に変わろうとしていた、、、
こんなにも深い感興を齎す音楽を他で経験したことがなかった。
ジャンル分けは不可能な、様々な要素が絡み合い、重層的に展開していく。
オペラのアリア、カンツォーネ、ポップス、コーラス、、、、
かつて西洋の没落とかなんとか言われた時期もあったが、このアルバムを聴いて、西欧の歴史的な深さや厚さ、長大にして広大な沃野や岩盤に圧倒されそうになった。
歌い手は、エマ・シャプラン&フレンチ・オペラ・クワイアとある。
15曲の殆どはラテン語による歌詞で歌われ、どこか熱情を帯びた壮麗・荘厳な宗教曲のようにも聞える。
この作品の場合は、熱情溢れる祈りという形で、永遠なるものへの希求を見出すことができるだろう。
因みに、1曲目の題名は「de l' abime au rivage(深淵から岸辺へ)」。
他に曲名は、「ルシフェルは、あの日」「マリアに祈りを」「神の怒りに」など、まるでレクイエムのようだが、決して抹香臭いことはない。
“Tutta notte”と、祈るような囁きにも似た章句で始まる「miserere, venere...(ミゼレーレ、ヴィーナス)」も、「汚れてしまった」わたし(たち)の痛悔からの祈りに重なるようである。
2006/02/20 12:18:04 Comment * 0 Trackback * 0
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