気配と囁き ―秘密の薔薇―

個人的な関心事についての日録風覚書。隠されたもの、語り得ぬもの、覆われたもの、向こう側、境界線上のもの、この世ならぬもの、過剰なもの、偏奇なもの、只事でないこと、などについて。

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「さのさ」とか、、、

「さのさ」と言えば、江利チエミの「さのさ」が有名だが、この曲はずっと古くから伝わってきた日本の端唄、と思いきや、元は中国から伝わった明清楽の「九連環(きゅうれんかん)」という曲がのちに色々と変形加工されて伝わったものらしい。

歌詞はそれこそ星の数ほどの種類があって、これという決まった定番の歌詞というのはない。

これまで半年ほど端唄を習ってきたのだが、挙げると「お伊勢参り」「紅葉の橋」「梅は咲いたか」ときて、最後に歌だけ習ったのが、この「さのさ」。

先週からは新内に入ったが、「さのさ」も弾き語りをマスターしたいので頼み込んで、新内と並行して三味線伴奏も習えることになっている。

ただ、、、この曲に限らずだが、邦楽の特に端唄や小唄や都々逸といった曲は、西洋音楽とは違ってこれが基本形といった決まった旋律があるようで実はない。

3番まで歌詞があるとして、それぞれ歌詞によって節回しが微妙に違ってくる。
あるいは唄う人によっても、また同じ人でも歌うたびに違うというのは当たり前ということになっている。

こういう融通無碍、悪く言えば適当でいい加減なところが、端唄や俗曲の特徴である。
都々逸でも、そのあたりは同様で、出だしが上から出たり下から出たり。

この適当で緩い感じ、それと絶妙の間が日本音曲の一大特徴といえるのかも知れない。
それがいい味になっていると思う。
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特異な三味線の奏法、、、

楽器を本格的に習うのは、ある意味初めてと言っていい。
「ある意味」と留保をつけたのは、中学時代に吹奏楽部に所属していて、金管なのにリズム担当の侘しい楽器を受け持ったことがあるのと、高校時代に数ヶ月ギターをちょっと触ったことがあるから、、、

で、絃を打ち鳴らす楽器に共通しているのか、あるいは三味線だけに特有の奏法なのかはよく知らないが、とても玄妙な奏法があるのを知って驚いた。

というのは、およそ三味線の場合、上から撥で糸を叩くようにして太鼓(胴)表に張られた皮に当たるまで打ちつけるのだが、他に糸の下側から掬うように引っ掛けて鳴らしたり、糸のある箇所を押さえて撥で打ったあと、糸を押さえた左手の指をスライドさせて音程を上げたりする。
そのほかにも、左手の人指し指で糸を押さえながら薬指でその糸を弾くという奏法もある。(この場合、糸の響きは少なく詰まったような音がする)

この辺までは、まぁ通常思い浮かべることができる奏法だと言えようが、もっと不思議な奏法があって、、、

それは、いわば音程を持った無音、とでも言えばいいか、、、

糸のある箇所(勘所)を人指し指で押さえて撥で打ったあと、薬指でより高い音程の箇所(勘所)をぽんと押さえる。
通常はその押さえたまま撥を打ち当てるのだが、この場合、撥を当てずそのままで終わる。
(楽譜には「ウ」とか「ン」などという指示が書いてある)

そうすると、直前に叩いた音程の音が、次ぎのより高い音程のところで止む。

「音程のところで止む」とは言い得て妙だが、まさに「音程を持った無音」状態が現出するのだ。

いわば虚の音とでも言ったらいいのか、、、

上に書いた場合は同じ1本の糸上での話しで、直前に一応音は鳴っているのだが、それとは違って別の糸の(音は出ていない)ある音程の箇所(勘所)をぽんと押さえるだけの奏法があって、、、これは一体なんだろうか、、、
音程を持った無音(耳の奥で、鳴っていないはずの音が微かに聴こえる)、、、

恐るべし日本楽曲、、、
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隠された真の契機とは(極私的メモ)

昨年末頃から、勃然と兆した三味線音楽への傾倒は、実は決してふとした気の迷いでもなければ、よくある加齢に伴う古典的伝統への回帰などではなかった。

あれこれと動き回りながら探る、、、その傾斜は様々な模索的迷走の中で、表層の夾雑物が洗い流されることで、本来的な素地が現れてきたという感じだ。

無論、当今の流行り歌にもいいものはあるが、どこか付け焼刃な感じ、自分にとってなにか深いところにまでは届いていないもどかしさ。どこかに、「私にとっての」本来の流れがあるはずという感じがずっと付き纏っていた。

三味線音楽は、私には<花柳界>との繋がりを直接感じさせる。
まだ目鼻もつかないうちから、ずっと浸って聴き入っていた感触、、、

先日、これから習う教室のお師匠の部屋を訪れたときの、あの馴染む感覚はどこからくるのか、、、

師匠がやおら三味線を取り上げて、糸に撥を当てた瞬間の音の響きが身内の奥底から引き出したもの、、、

泣けとばかりに響く糸の音が、記憶するはずのない、未生以前の記憶を蘇生させる。
どこかでずっと繋がっている。
記憶の淵源から延びる臍の緒が、暗夜の荒涼たる野を越え繋がる、、、

きっとどこかで繋がる、繋がっている気がする、、、
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日常と慰め

このところ、愈々校了の最終段階で、気が抜けないじりじりぴりぴりした時間を過ごしていた。

なるべくゲラの局所だけに囚われないよう、小刻みに小休止しながら進めていた。
こういう時、室内での気散じとしては、音楽を聴いたり、珈琲や煙草、それに漫然とネット上の散策などが手軽でよい。

ところが、このところ仕事部屋で使用しているチープなオーディオ装置が故障して、色々物色して買い換えているうちに、すっかりオーディオ再生音の陥穽に嵌ってしまい、安くて良い出物があれば入札しては落札することを繰り返していた。

一時は、以前に落札しておいたケンウッドのハイコンポというのか、10年ほど前の、小型だが本格的といってよいアンプを一時の繋ぎに使ったところ、やはり手を抜かずしっかり作りこまれた製品の音というのは、腰が据わっていてしかも透明感のある音がするものだと、改めて感心した。

ヴァイオリンの奏でる、高音域の精緻で艶やかな音色がぞくぞくするほど魅惑的なので、何度聴いても飽きないのである。

で、居間にある方の、今では大型といえるほどのアンプやスピーカーをダウンサイジングして転居に備えようと、気軽に聴けるミニコンポのアンプを物色していた。
すると、英国製の小型のアンプが出品されているのに目が留まり、単なる勘だが、これは廉価で落札できそうな気がした。

ネットオークションを長く観察していると、潮目というのがあるのに気がつく。同じ商品がある時1万数千円で落ちたかと思うと、次の週にはその半額以下で落札されたりしている。

ただ、値動きのない商品は、終了間際にあっと言う間に値が高騰することがあるので油断はできないのだが。
今回は、それほど知名度は高くない製品なので、上手くすると安く手に入るだろうと踏んで応札した。

流石に終了間際にじりじり値が上がっていったが、最初が安かったのでさまでは高くはならなかった。
私の他にもう1人、この製品に執着している人がいたが、ぎりぎりの線できっと落とせると感じていた。
最後は、これ以上だと値ごろ感が乏しいと思える価格に私が先に張り付き、思った通り落札することができた。

英国のオーディオ製品というのは斯界では大変評価が高く、タンノイのスピーカーを初めとしてメーカーの数は多いが、私が手に入れたのは、それほど目にすることがない「ミッションサイラス」というアンプであった。

聴いてみて、驚いた。
想像していたのは、柔らかで耳当たりの良い音というものだったのだが、それとは全く違っていた。

それまで聴いていた音から薄幕を一挙に5,6枚ほども剥がし、躍動する生気に充ちて、楽器の動きまでが目に見えるかのごとく、生々しい迫力に溢れた音であった。
音場に深みがあり、音の切れ込みが鮮やかである。

ベースの深々とした響きは、決して曖昧な低音の塊にならず、リアルな楽器の形状や動きを髣髴とさせ、ピアノの硬質でしかも煌(きら)びやかな音色の生々しさが演奏者の溌剌とした悦びを語っているようだ。

これに比べると、ケンウッドのアンプで聴いていた音は、あくまでも透明で、歪み感が払拭された綺麗な音だったが、それはいわば電気的なフィルターを通して純粋培養したかのような人工的なものだった、と思える。

高音域はやや荒削りな印象を受けたのが、これは逆に演奏の実体に近い生々しさの現れであろうと思われるのだ。
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華麗なる激情 その2

(前項よりのつづき)

この曲は難曲といえるほどの技巧を要する曲だが、決して甘くならずに哀切かつ優美な曲想を見事に弾き切っていた。

第1楽章の終盤で気がついたのだが、その余りの演奏の激しさに弓の糸の何本かが切れ、弓を動かすたびにそれが弓の先端でひらひら舞っている。
確かに高音域でのフォルテシモの連続で糸が切れることもあるのだろうが、今までに見たことはない。

ぞくっとするような美人で、美少女だった面影を残し、今正に中年の鳥羽口に立ったところの成熟過程にあるのが見て取れた。

ヴァイオリンがソロで話しかけ、それに後ろのチェロやオーボエやフルートが答えるのだが、話しかけたあと、斜め後ろを振り返って応答する楽器の奏者を見る時の艶然とした笑みが、咲き乱れ舞い散る桜花のようにあでやかである。
指揮者も男性オケの楽員もうきうきしているように見えた。

激情に身を任せ、猛進するごとくの演奏ぶりは、聴き慣れたこの曲を鮮烈な新境地で展開し、私は酔い痴れた。

これは凄い演奏だ。長生きはするものである。

いずれDVDを買うことになるだろう。
ちなみに、ヴァイオリンの歌姫の名は
“オランダのバイオリニスト、ジャニーヌ・ヤンセン”
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バイオリン協奏曲 ニ長調 作品35 全曲 (チャイコフスキー作曲)
バイオリン: ジャニーヌ・ヤンセン
指揮: エド・デ・ワールト
[収録: 2009年4月10日, NHKホール]
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失せ物探しの果てに、思わぬ果実を拾ったのだった。

その後、気を取り直して「論理的に」探したところ、無事失せ物は見つかった。
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